私のhutte・考


まだ残暑も残るころ、遠山さんの「私のhutte(わたしのヒュッテ)」に赴いた。最近遠山さんは北軽井沢に心酔しているようだ。詩人・谷川俊太郎が一編の詩を建築家・篠原一男に託し、1974年に別荘として竣工した一編の住宅。以前から谷川さんと親交があった遠山さんが2019年に引き継いで以降、週末に赴いては少しずつその周辺に手を入れながらその続きを編んできた。

そしてその近辺の別荘を手に入れ、1年がかりで改装をし、最近ようやく竣工したのが「私のhutte」だ。一棟貸の貸別荘なのだが、近年巷で目にするラグジュアリーな別荘とは趣の違うものであった。

私は、最近のいわゆる“ラグジュアリー”なホテルや別荘はなかなか苦手で、なんだか落ち着かない。統一された空間コンセプト、細部にまでこだわったディテールやダイナミズム、そしてマテリアルの優美さと調和のとれた完成度が、確かに目を見張るものではあるのだが、作り手の意志や意図が全方位からやってきて、浴びるがままの自分の感受性がどこか所在なさげに漂っている。

当然そのような創造者の意図を余すことなく受け止めたい方もたくさんいるだろう。なんならそれを目的に通う人の方が多いのかもしれない。そして徹底的にその世界観に酔いしれる体験は格別であろう。

わかってはいるのだ。それもまた一興だと。にもかかわらずどうしても自分の“一片のイニシアティブ”を確保したいのだ。あくまでも“わたし”の経験でありたいと願うのだ。

さて、話は戻り、「私のhutte」。
まず茜色のガルバリウムと焼杉を彷彿させる深茶の木外壁。「こんな配色、このご時世なかなかやらないよな」と思い切った配色である。玄関の風除室を超えると、決して大空間というわけではないのだが、こじんまりとまとまったキッチン・ダイニング・リビング。

リビングを臨むと、60年代のミッドセンチュリーを彷彿とさせる白と浅葱色のちょっとヘンテコな形のソファ。そしてその浅葱色を壁面にも大胆に配し、レコードプレイヤーやレコードを置く台もソファとリンクしたフォルムに(野坂昭如をはじめとしたレコードのセレクトもいかにも遠山さんらしい)。その場にはオーバースペックな大きな暖炉も魅力的だ。
他方ダイニングに目をやると、これまたオーバースケールなダイニングテーブルが。この空間も懐かしみは感じるのだが、どこか牧歌的とでも言おうか、北欧的とでも言おうかなんとも形容しがたい設え。複数ある居室や階段、廊下、そして外構の炭場や焚き火場に至るまで、
まとまりがあるような、ないような、〇〇風、〇〇デザインと一言で形容することができない、行き当たりばったりのようでもいて、計算高くも感じる空間。リノベーションだからこそ生まれる手がかりを巧みに自分のものにして生まれるデザインと居場所。
聞くところによると、敢えて誰もが知る名作家具や作品は購入しなかったらしい。ネット通販などで、アノニマスな調度品を思いつくがままに仕入れたとか。でも数多く点在するアートだけは別腹だ。中には今回の物件のために用意したコミッションワークもある(それもいかにも遠山さんらしい)。

「あ、いいじゃん。」素直なことばが心に湧く。
「ここでこう佇むのが至福だ。」「ここに腰掛け景色を眺めたいのだ。」遠山さんから直接話を伺えば、確かに意図は満載なのだ。でも一つのコンセプトに従って、隅から縁にいたるまで均整をとるわけでもない。長年かけてじぶんの別荘を少しずつ育ててきたような、その時々のマイブームに従って、思いつくがままに設えを施していったような感覚。あくまでもわたしの“ための”ヒュッテ。伝わってほしいけど、伝わらなくても構わない。
だからこそ、押しつけがましく感じないのかもしれない。
みずからの詩の中にあるとりとめなき世界を一編ずつ体現・再現された空間。しかしながら、その“とりとめのなさ”が、私を創造者の意図の呪縛から解放してくれているようだ。
“わたしのイニシアティブ”がそこに存在することを許してくれている。

わたしは、「私のhutte」にお邪魔した。

代表取締役社長 兼 CCO
野崎亙

※内容、表現、肩書、各種名称は、公開当時のものをそのまま掲載しています。