子供も大人もるんるんしてしまう、ビビッドな地下空間
オーストラリアの最大都市シドニーに到着しました!夏のシドニーのベイエリアは、太陽を浴びてわかりやすくキラキラしていますね。オペラハウスの内部ツアーに参加して当時の技術とお金で限界突破をしながら建てられた壮大な物語に感動したり、Locomotive Workshopのようなアダプティブリユースの施設を巡ったり。
そんな日々の中で、特に記憶に刺さった場所が、The key’s under the matというパブリックスペースの展示です。
展示がある地下へ向かう白い螺旋階段を降りていくと、最初に、安全についての注意喚起サインが目に入ります。そのまま進むと、「きゃー!」という子供の本当に楽しい時の声が聞こえてきて、それから、コンクリートの中に広がるカラフルな世界が視界に飛び込んできます。一個一個の遊具や床材は、明らかに廃材や再利用材から作られており、The Tankと呼ばれる空間と一体的な物語を纏っているようです。
友達から「SANAAがつくった美術館の新館地下4階が、なんかすごいらしいよ」と聞いて、ちゃんと言われた通りに来たという状態。だから詳細はよくわかっていないけれど、他では感じたことがない楽しい場所であることだけは明らかです。
空間を探検する気持ちになって歩いてみます。すると、蒸気が噴出している場所が実際に入れるサウナになっていたり、シャワーがあったり、宙を舞う洗濯機があったり。視覚的な面白さにとどまらず、ここが本当に使用できる場所であることに驚きがとまりません。
ここは何の場所?
直接的な答えとしては、Mike Hewsonによる、2025/10/4〜2026/8/23の期間限定のThe Key’s Under the Matという展示です。入場無料。
会場はThe Tank。オペラハウス以来とも言われる大規模公共事業の一環で整備された美術館Art Gallery of New South Walesの新館の地下4階に位置するThe Tankにて、指名型のコミッションワークとして展開されている作品なのです。そこでまずは、The Tankという場所の空間的特徴についてみていこうと思います!
ホワイトキューブになり得ないThe Tankの雄弁性
多くを語る前に、まずは公式の写真から。
The Tank space in the Art Gallery of New South Wales’ new SANAA-designed building, 2022, photo © Art Gallery of New South Wales, Jenni Carter
兎にも角にも情報量が多い、暗く強固な歴史空間
The Tankは、天高7メートルの広大な地下展示空間。外界から隔絶されてノイズが取り除かれたホワイトキューブとは真逆で、とても情報量の多い場所。説明なんて読まなくても全身で感じるくらいには、歴史の痕跡がひたひたと染み出している雄弁さがあります。かつてはGadigalの人々が儀式の場として使ってきた土地であり、直近では第二次世界大戦時に緊急でつくられたオイルタンクだったそうです。
最大7,000トンの燃料を貯蔵する前提でつくられたため、とても大きくて頑丈。コンクリート壁の厚さは場所によっては5メートルに達し、125本のコンクリート柱が林立するという迫力。加えて、タンク用途の閉鎖後に長らく放置されたことで自然の侵食が進み、壁面には内部の雨水や地下水の水位変化に応じたラインが残っていたり、コンクリート内の成分が染み出して結晶化したとされる白い模様が浮かびあがっていたりしています。
新館の設計を担当したSANAAはこれらを極力そのままの状態で保つことを選択し、専門組織が8年がかりで汚染調査と管理・モニタリングを実施。その結果として、安全性は担保されながらも、壁面の油染みも白い結晶もほとんどそのまま残った形で、The Tankに展示スペースとしての新たな命が吹き込まれました。この方法は、一般的な美術館で作品を保管する時のような「静的な保存」というよりも、「生きたまま変化し続ける場所として維持」するような方針だと言えます。
あっけらかんと明るくする今回の展示の特殊性
The Tankの歴史的な背景と空間的な特殊性を踏まえると、薄暗さを感じるタイプの現代アートの展示と相性が良さそうと感じます。実際に、2022年の開館以降に完了したコミッションワーク3作品はいずれも、この暗さ・廃墟っぽさ・圧倒的な存在感をそのまま生かす方向性の作品だったと評されています。
一方で、Hewsonは「その歴史を全部引き受けた上で、誰でも使える明るい場所にする」という最もシンプルなことを、あっけらかんと成し遂げているようです。ここまで重厚な空間が、一体どうやって楽しい場所に転換されているのでしょうか?
気軽にるんるん楽しめる3つの理由
①危なそうだけど実は大丈夫
ここに登ってみたい!中に入りたい!ジャンプしたい!のようなプリミティブな欲求が喚起されて、見た目はちょっと危なそうなのに、それが安全な形で叶えられることがもたらす楽しさがあります。Hewsonの実践は、ハザードを0に保ちながらリスクの知覚を最大化することに特徴があるとされていて、「危なそうだけどおおむね大丈夫!」という最高な状態がもたらされています。
②普段はやっちゃダメなことができる
危なそうなことを、それを普段は遊んではいけない場所で実現しているのではないこともポイントです。触らず大騒ぎせずに静かに鑑賞するという振る舞いが求められる美術館内部の空間で、登って走りまわって食べるという振る舞いが肯定されていることがもたらす、「外ではやっちゃダメなことをしていい特別感」というワクワクの大いなる加点があります。
③ちゃんとした常駐スタッフ
エリア内には注意書きと合わせて、常時複数のスタッフがいます。作品を守る役割というよりも、みんなの安全を守ることを役割とした、プールの監視員みたいな顔つきの大人たちでした。彼らのおかげで、一見すると完全に自由だけど無法地帯にはならないラインが守られているようです。
圧倒的な重さと軽さが共存するという体験
ここから持ち帰れることは何でしょうか。
今回の体験の特殊性は、The Tankという空間が抱え持つ重厚さ(戦争・植民地・放棄の歴史)と、Hewsonの展示が形にした気軽さ(遊び・楽しさ・身体活動)が、どちらかを損なうことなく共存していることによる、他で体験したことがないような異世界感に由来するのかなと思いました。
The Tankが今の姿でここにあるのは、美術館設計に関わる各社が、このまま残すための判断と行動を重ねてきたからだと言えます。コストをさいてまで歴史を可視化した形で残すことは、正しさや説明責任のど真ん中のような公共機関にとってそれなりに勇気のいる選択だったはず。
その器があった上で、Hewsonの作品は、リスクの知覚のみ最大化するという工学的なソリューションと注意書きや常駐スタッフというセーフティーネットを組み合わせて、「美術館の地下の、危なそうに感じられる空間を、自由に遊びまわっていい」という状態を実現しています。
重さと軽さがどちらかを消費し合わずに共存できている(だから異世界が立ちあらわれた!)のは、空間が歴史をめいいっぱい抱え持っていることと、展示がその空間への気軽な身体的入口として機能していること、という2つの条件が揃っているからかもしれません。
楽しめる・実際に関与できる場所になってはじめて、その空間が持つ歴史について思いをはせることができる自分がいました。「重く強固な歴史空間を、軽やかに照らす」というのは、歴史そのものを直接照らすという意味だけとは限りません。むしろ、歴史が満ち満ちた空間に軽やかに関与できる場所をつくることによって、結果的に人が自分自身でその深淵に近づくきっかけがもたらされる、ということもあるのだなと思った滞在でした。
参考文献
Art Gallery of NSW. “Mike Hewson: The Key’s Under the Mat.” https://www.artgallery.nsw.gov.au/whats-on/exhibitions/mike-hewson/
Paton, Justin. “Something Always Not Seen.” Art Gallery of NSW. https://www.artgallery.nsw.gov.au/art/watch-listen-read/read/something-always-not-seen/
Mestrom, Sanne. “This New ‘Risky’ Playground Is a Work of Art.” The Conversation. November 9, 2022. https://theconversation.com/this-new-risky-playground-is-a-work-of-art-and-a-place-for-kids-to-escape-their-mollycoddling-parents-193218
PROFILE
内山 美紀(うちやま みき)
株式会社スマイルズ プロジェクトマネージャー/リサーチャー
2022年入社。大学での専門は公衆衛生と生物統計学。スマイルズでは、企業のCI/BIや新規事業の戦略立案、飲食店やホテルの企画開発、海外でのイベント開催等、幅広い分野のプロジェクトマネージャーとして経験を積んだのち、近年は広域のまちづくり・都市開発のプロジェクトを中心に担当している。地域の米と食文化にフォーカスした企画「米惣動」は現在お休み中。旅先での荷物の小ささに定評がある。