白い壁・赤い瓦屋根・スキップしたくなるまち
ロサンゼルスから北へ1.5時間で移動した場所。カリフォルニア州に位置するサンタバーバラは、温暖な気候と美しい景観から「アメリカのリビエラ」とも呼ばれる、海と山に囲まれた穏やかで美しいまちです。
ここを訪れたのは、偶然の産物のようなもの。12月に早めに休暇をとって、ロサンゼルスから始まってサンフランシスコから帰るアメリカ西海岸旅をしてみようと思い、マップを眺めていた際に、通り道として目に入った地域の一つがサンタバーバラでした。ちらっと写真をみて、綺麗そうだから1日くらい滞在しようかな〜と思った、それ以上でも以下でもない状態で当日をむかえます。
中心街の街並みとしての特徴は、第一に白い壁と赤い瓦屋根の徹底。「スパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式」と言われる建築様式で統一されていて、圧倒的に美しい裁判所がその代表格と言われます。色と素材に加えて、意匠としてのアーチの多用や、サインでのオリジナルフォントの使用。それから、建物の高さの統一、歩行者エリアの整備、パティオとパークレットの存在感。総体として、ヨーロッパ以上にヨーロッパを感じる、魅力的な中心市街地をもつまちという印象を持ちました。
歩ける・歩きたい場所が限りなく少ないロサンゼルスから移動してきた直後なのも相まって、わかりやすくうきうきしてしまいます。本当は1日滞在する予定のはずが、天候に関する警報が多数でていたことから泣く泣く予定を変更して2時間のみ歩きまわって過ごしたこのまちが、やっぱりアメリカの中でも珍しい場所だなと気になったので、背景を調べてみることにしました。
なぜサンタバーバラにはこのような街並みが?
ここまで美しく統一された街並みは、どうやって作られてきたのでしょうか?歴史上はスペイン・メキシコ統治の歴史という近しい背景をもつ近隣の街々と比べて、サンタバーバラだけ特筆すべき街並みとなっている理由はなんでしょう?
答えはシンプルです。
1925年の地震からの復興の際に、条例によって現在の様式に統一が行われ、現在に至るまで保持されているため。地震は今からちょうど約100年前。それ以前は、ほんの一部にスペイン統治時代の建物が残っていたものの、総体としては今と全く違った、色も素材もバラバラな街並みだったそうです。
7ヶ月で900件以上の審査と製図支援
「地震をきっかけに、無秩序だった街並みを美しく統一された街並みに変えた。」
これだけ聞くと端的でわかりやすいストーリーゆえになんか納得してしまいそうですが、徐々に違和感が生じてきました。震災をはじめとする大きな変化とその後のまちとの関係性にはそれぞれのケースがあり、大胆に作り替えることが必ずしも望まれるとは限りません。仮に、震災をきっかけに元の形に戻す以外の次のまちのあり方が模索されるとしても、それが新たな街並みをつくることにまで繋がるのはレアケースではないでしょうか。
新たな街並みをつくることにまで至った理由はなにか?
後日調べた結果、サンタバーバラに震災前から存在していた特殊なリソースの影響が大きいように思えました。
まずは、スペイン植民地時代の建築様式をベースとした新たなデザイン潮流であるスパニッシュ・リバイバル様式を展開する社会運動を行う市民団体が震災前から活動していて、実際に小住宅や商店建築のデザインに対する助言を行なっていたことが挙げられます。
加えて、市のコンサルタントを務める都市計画家が、これまでに建築審査制度を確立させた経験を踏まえて、「私有財産に対する美的審査」というアメリカで前例がない概念を地方自治体の条例に適用するというアイデアを、震災前に提案していました。
さらに驚くのは、実装のスピード感です。
地震発生日が1925年6月29日なのに対して、公的建築規制をもたらす条例の採択日が同年7月16日。
条例を踏まえて、デザイン、素材、色彩等の変更勧告権限を持った建築審査機関(通称ABR)が発足。ただ審査をするだけではなく、ちゃんと実装できるようにするために、建築家を雇用できない所有者向けのコミュニティ製図室を設置して、無償または安価にデザインのアドバイスを提供する技術支援体制を合わせて整備。
結果として、震災後7ヶ月の期間だけで900件以上の審査と製図支援が行われたそうです。
サンタバーバラでの後日談
強制力を伴って街並みを統一することには、もちろん良い側面があると同時に、リスクやネガティブな側面も生じえます。
特に、歴史ある街並みを保全するという方向性ではなく、新たに街並みを創造する時に生じるリスクや合意形成の難しさがあるのではないでしょうか。例えば、駅前の一部エリアだけ当時のコンセプトで〇〇風の街並みにしてみたものの、流れが引き継がれなかったため今となっては〇〇風の部分だけ寂しげに浮いている、みたいなこともよく見かけます。
サンタバーバラでの街並みの統一は、本当に市民にとってポジティブなことだったのでしょうか?
実際、震災の翌年である1926年には、私有財産権侵害への反発や上流階層による意見の押し付けという批判、それから震災直後の緊急事態ムードの脱却を背景に、反対派が政治的に勝利。その結果、建築審査機関ABRは廃止されたのです。
しかし、話はこれで終わりませんでした。
条例での強制力は失われた後も、スパニッシュ・リバイバル運動の流れを組んだ市民団体による草の根の活動は続けられていました。それから第二次世界大戦後のタイミングで、無秩序な開発が進む懸念から再び建築活動が活発化。市民の強い支持を背景に、1925年の旧条例を踏襲しながらその対象地域をさらに拡大する形で、再びABRを設置する条例が1947年に設立。現在に至っています。
今さら街並みはつくれないと思う私たちへ
ここまでの事例から、サンタバーバラで特徴的な街並みがつくられた背景には、下記4つの要素があったと思われます。
1)まちの歴史に紐づいたデザインコンセプト(スパニッシュ・リバイバル様式)
2)実装のための強制力を伴ったスキーム案(私有財産に対する美的審査の条例化)
3)運用のために必要なプレイヤー(市民団体→コミュニティ製図室)
4)今しかない!というタイミング(1925年地震による多数建物の倒壊)
それらによって新たに創造された街並みが、約20年後の開発圧力が高まったタイミングに、未来に向けて保全したい街並みとして市民から選ばれ直したと言えそうです。
歴史ある美しい街並みに憧れる気持ちがあったとしても、全てのまちにそのような遺産が必ず残っているわけではありません。歴史は長くても建物としてはあまり残っていない地域や、そもそも人が住み始めてからの歴史が短い地域もあります。そのような場所で新たに、一定のデザインに基づいた街並みを創造することはいかにして可能か。それも、一過性のテーマパーク的なものではなく、100年後以降もユニークなまちの価値となり、シビックプライドを醸成するような形で。
難しいことであるのは百も承知です。それでも、景観としてもっと魅力的な街並みにできたら良いのにな〜と思ってしまう私たちは、ユニークな先輩であるサンタバーバラが保有していた4要素のうちどこが充足できれば実装に近づくかを考えるところから、はじめてみるのはいかがでしょうか。
参考文献
「サンタバーバラにおけるアーキテクチャル・コントロールの成立」
日本都市計画学会 都市計画論文集 No. 39―3 2004年10月、秋本福雄
「カリフォルニア州サンタバーバラ市都市部の1925年地震による被害と復興過程」
京都歴史災害研究、第11号(2010)1~16、植村善博
PROFILE
内山 美紀(うちやま みき)
株式会社スマイルズ プロジェクトマネージャー/リサーチャー
2022年入社。大学での専門は公衆衛生と生物統計学。スマイルズでは、企業のCI/BIや新規事業の戦略立案、飲食店やホテルの企画開発、海外でのイベント開催等、幅広い分野のプロジェクトマネージャーとして経験を積んだのち、近年は広域のまちづくり・都市開発のプロジェクトを中心に担当している。地域の米と食文化にフォーカスした企画「米惣動」は現在お休み中。旅先での荷物の小ささに定評がある。